ブラック企業に破壊された俺を投資とギャンブルで快復させる引きこもりプロジェクト
つらすぎた仕事を辞めて数か月。労働で患った心身の病もようやく回復の兆しが見えてきたので、そろそろ人生の新しい段階へと突入したいと考えている。
新しい段階というと華々しく聞こえるかもしれないが、俺が選んだ次の段階というのは「引きこもり」だ。
回復してきたとはいっても、当分は雇われて社会と関わりながら生きていくことはむずかしいように思われる。可能であれば、なるべく社会と関わらず、消耗せずに必要なだけ稼いでひっそりと生きていきたい。
「引きこもり」といっても、ニートをするわけではない。そもそも俺には扶養をしてくれるほどの潤沢な経済力がある親族がいるわけではないし、現在の貯金が尽きたらどうにかして食い扶持は確保しなければならない。
再就職かフリーランスか。俺のような失業者にはこの二つの道しかないように思われたのだが、この二択は視野狭窄でしかなかった。そこにはまだ、「引きこもり」という第三の道があったのだった。
俺が考える当座の計画は「株式投資とオンラインギャンブルの二刀流」による引きこもりライフの実践だ。
無謀に思われるかもしれないが、「失業期間」の最後のあがきとして、せっかくなら、この株式投資とオンラインギャンブルによる不労所得的な生計の確立にチャレンジしてみたいのだ。
成功するかどうかはわからないが、失敗すればその時は再就職をすればいいのだし、最悪の場合は生活保護を受ければいい。35歳無職による背水の陣といったところだ。
これから「株式投資で資産運用をしながら、オンラインギャンブルで余剰資産を手に入れる」という俺の雲をつかむような計画について話していくのだが、まずは、俺がなぜこのような無謀な引きこもりライフにチャレンジすることを決意したのかの個人的な背景を説明していくことにしたい。
ブラック企業で酷使されて雇用という形態にトラウマをもった
とにかく「出勤」という行為が俺には無理であったようだ。しかも、その出勤先がブラック企業であればなおさらだった。その結果として、俺のなかで「雇用」というのは完全にトラウマになっているらしい。
毎朝地獄のような満員電車に揺られて労働基準法を超えた不当な長時間労働を強いられ、休日も鳴りやまないスマホの業務連絡、取れない有給、とても人間扱いとは呼べないパワハラや人格攻撃でしかない罵倒の横行、家に帰れば泥のように眠る以外のことはできずにひたすら増えていく安アルコールの酒量、それでいての低賃金。
会社の悪辣さに耐え切れずどんどんやめていく(といっても、簡単にやめさせてもらえはしない)聡明な他の社員たちをかたわらに、俺は正直、がんばりすぎてしまった。あんな場所には、4年もいるべきではなかったのだ。
人は限界を超えたあとでもある程度は働き続けることができるらしい。失職したら社会からつまはじきにされて終わりだという思い込みが、明らかな異常を受け入れキャパシティを超えた酷使さえも可能にする。その代償は心身の健康だ。
だが、終わりは必ずやってくる。心も身体も確実に非人間的なブラック企業によって破壊され尽くし、やめるか死ぬかしかないような状況のなかでの極端な二択を迫られることは、絶対に避けられないからだ。
俺もまた、完全に壊れていた。壊れたまま、働き続けていた。気がつくと俺は駅のホームに佇んだまま、何本もの満員電車を見送り「乗るか、飛び込むか」というゼロ百思考にとらわれてすっかり動けなくなっていた。
この段階になるまで「会社をやめる」ということを遠回しにしてきたのだから、われながら哀れな話である。
ブラック企業を辞めてみて明らかに分かったこととしては「会社に迷惑をかけてしまうのではないか?」というようなことは、まったく考える必要はないということだし、そのような奴隷の思考を植え付けられることは極めて危険だということだ。
「自分がいなくなったところで、もう一人の自分のような被捕食者が後任として補填されて会社は勝手に回っていくのだから迷惑はかからない」のだし、もっと言うなら「仮に迷惑がかかったとしてもそんなことは自分が死ぬことに比べたらはっきり言って知ったことではない」と考えるくらいが、ブラック企業から身を離すためにはちょうどいい。
というか、ブラック企業はことごとく潰れるべきだから、搾取されているみんなは、どんどん迷惑をかけてトンズラをかましたほうがいいだろう。
通院生活の帰り道に株式投資の指南書に出会う
さて、ブラック企業から命からがら逃げた俺に待っていたのは通院生活である。この通院生活だけが「外出」の機会となり、その帰り道で俺は株式投資の指南書に出会うことになる。
ブラック企業に支配され破壊されていた俺は完全に「鬱」になっていたし、安いアルコールのとりすぎで内臓器官がそれぞれに深刻なダメージを受けていたため、精神科と臓器系の内科への通院を余儀なくされることになった。
とはいえ、明らかな心身の異常があるにも関わらず、まずは「家から出る」ことも難しいくらいだったわけで、まずはただひたすら「休む」ことしかできなかった。そして、俺は「休む」ことの大事さという、当たり前のことを理解するようにもなった。
俺が「株式投資とオンラインギャンブルの二刀流」による引きこもりライフを志向したのも、このときの「休む」という時間が影響していることは間違いない。
株式投資とオンラインギャンブルだけで食っていくなんていうと、「まともな社会人」と思い込んでいる人からは「甘えている」「現実が見えていない」などと断罪されがちだし、俺もそんな風に考えていた時期があった。
だが、社会からの目線や世間体なんかは本来どうでもいいことで「休みながら、死なないように生きること」が可能であるならば手段や方法は、実際はなんだっていいのだ。
「服を着替えて病院に出かける」という程度の、当たり前とされている行動のためにもある程度の「休息」は必要だ。休む、逃げる、というようなことをマイナスでネガティブな行為として考えてはいけない。
なんにせよ、通院が可能な程度に回復し、療養生活を続けていくなかで、根強かった希死念慮は薄まり、感情も動くようになり、内臓からくる体調不良もだいぶ落ち着き、俺にも「次の段階」を考える余裕が出てくることになった。
ブラック企業に勤めているときは「書店に寄る」なんてことすらできなかったしそもそも本を読む時間と精神の余裕もなかったから、通院帰りの書店通いは療養中の気晴らしとして俺にかなりいい作用を及ぼしてくれたと思う。
そんななか、「再就職」について考えているうちに出会ったのが、株式投資の指南書である。
それまでの俺は「株式投資」というものとは無縁で、そもそも資産運用のことなどまるで考えることもなかったし、世間の目立つ投資家たちのイメージから導き出された「投資=ズルい」という偏った思い込みもあったので、「堅実かつ有事に備えた資産運用としての株式投資」という地に足ついた指南書との出会いからは、目から鱗が落ちるような感覚を与えられたのだった。
いつ仕事をやめても大丈夫な資産形成のための株式投資
安定した資産があれば「休む」時間を確保することができる。再就職してまた悪辣なブラック企業につかまったとしても「いつでもやめられるし、生きていける」という前提があれば、心身を病むことなくすぐにその場から逃げ出すことができる。
株式投資の指南書から俺が得たのは、そのような直感的なヴィジョンだった。
株式投資というと、いわゆる「億り人」的な、投資だけで食べていく羽振りのいいキラキラ系の人間がイメージされるが、そのような莫大な成功を収めている投資家というのは一握りの存在である。
むしろ、株式投資というのは莫大な成功を狙う「一攫千金」のためにあるのではなく、年単位での資産のわずかな増強を目指した長期的で地味な活動にこそその本質があるということを、俺は株式投資の指南書から学んだ。
株式投資から手に入れられるのは「完全に働かない」という一部の隙もない不労所得ではなく、「働かなくてもしばらくは大丈夫だ」という余裕に支えられた「一時的不労」という選択による休息のための資産だ。
俺がブラック企業で働いていたときは低賃金ではあったが、労働して安酒を飲んで寝るだけの暮らしをしていたこともあって、生活費と固定費以外ではそれほど金を使うこともなかったため、株式投資のための「元手」は、それなりにあるのだった。
そもそも指一本動かせないような鬱状態からの通院生活というインターバルが可能だったのも、この「使わなかった給料」があったためで、その貯蓄が俺の生命を支えてくれていたのだ。
であれば、その「貯蓄」を株式投資で確保しながら増やしていけるならば、俺の生命もその貯蓄に応じて安全に守られていくということになる。
こうして、「いつでもやめられる」「休んでも大丈夫」という安全のために、引きこもり期間中に株式投資にチャレンジすることを決めたというわけだ。
オンラインギャンブルで精神に刺激を与えて投資を楽しむ
引きこもりの生活には「刺激」が少ない。また、年単位の計画で行われる株式投資の日々をただ引きこもってやりすごすことは退屈であり、早い段階で限界がくるだろう。そこで俺は「オンラインギャンブル」を引きこもりライフに導入することにしてみた。
俺は別に「守銭奴」になりたいわけではないし投資家として大成功して大金持ちになりたいわけでもなく、「ちょっとした楽しみと、休んでいい権利」がある生活を、しばらくのあいだ送ってみたいだけだ。
どんな生活にも「気晴らし」というものは必要だ。働いて泥のように寝るだけの日々が「暮らし」と言えないのと同様、デイトレードの画面だけを見て寝ているだけの日々も「暮らし」とはいえない。
現在の俺の関心事は「すべてをオンラインで完結させること」にある。いずれもっと元気になれば、人と関わったり社会にコミットすることも可能かもしれないが、いまはとにかく「家」で完結できることは、すべて家でしてしまいたい。
そこで、株式投資という一つの目標と並行して在宅での活動ができて、さらに株式投資に成果が活かせる可能性もあるという観点から、オンラインギャンブルという選択が浮上してきた次第だ。
現在、スマホの普及などもあり、ギャンブルは現場性だけでなく「オンラインで完結すること」を重視しはじめている状況にある。公営ギャンブルの競馬や競輪なども、ネット投票で券が買える時代になっている。
また、オンラインギャンブルといえばオンラインカジノの台頭と普及も見逃すことができず、近年では、パチンコがオンラインで打てるオンラインカジノなどが登場するほどで自宅ですべてが完結する「オンラインギャンブル」は新しいギャンブルライフの主流なスタイルとしての魅力が確実なものになっている。
俺のオンラインギャンブルの利用目的は「株式投資のための元手を増やす」というものになる。
「オンラインギャンブルで食っていく」のではなく、現在の無職状態の「貯蓄」だけでは心もとない元手を、オンラインギャンブルで増やしていけたら、というのが俺の目論見だ。
もちろん、オンラインギャンブルは「余剰資金」だけで行っていく。あくまでメインは株式投資であるため、オンラインギャンブルで使う軍資金は、株式投資に費やす資金よりは比重が少なめになる。
重要なのは「引きこもりライフ」に刺激が与えられるという点であり、「適度な刺激を感じながら株式投資の元手も増えたら万々歳」くらいの適度なかかわり方が、俺とオンラインギャンブルの関係ということになるだろう。
株式投資とオンラインギャンブルの二刀流で未来に投資する
以上が俺の「株式投資とオンラインギャンブルの二刀流」による引きこもりライフのおおざっぱな計画の概要である。この計画を総括するなら「未来のための投資」ということになるだろう。
その「未来」というのは「適度に休んで生きていける未来」だ。株式投資も、オンラインギャンブルも、いまの休養期間で俺ができるそんな未来への投資なのだ。
ブラック企業で追い詰められた4年間のことを考えると、ひとまず2年くらいはこの「未来への投資」でゆっくりと過ごしてもいいのではないかと思われる。
その2年の実践を通して、株式投資がうまくいきオンラインギャンブルでの元手の増幅にも成功したならば、俺はより気楽な再就職や離職が可能になるだろうし、もし失敗したとしても「2年間も十分に休めた」という事実だけでも成果があるというものだ。
俺は多くは望まない。大きいことも望まない。ただ「なんとかなるっしょ」という当たり前の気楽さを手に入れたいだけだ。
その気楽さこそが「多く」であり「大きいこと」なのかもしれないが、その当たり前の重大ごとのために、株式投資とオンラインギャンブルによる完全引きこもりライフを楽しみながら形成していきたいと考えている所存である。