オンラインギャンブルの拡大解釈によって見失われる株式投資の本質
「拡大解釈」や「たとえ」はやろうと思えばどこまでも適応させることができる。それが「ギャンブル」という間口の広い言葉であればなおさらだ。
「ギャンブル」という言葉を辞書で引くと「偶然や運に頼る危険な試み」という意味が出てくることもあって、金銭や品物を賭けた賭博以外の行為にも、リスクがあり運要素が強い対象に「ギャンブル」という言葉が平然と適応されるケースは多い。
たとえば、「人生」や「結婚」という言葉に「ギャンブルだ」という言葉が続けて使われるようなケースは、なんの疑いもなく日常会話レベルで使われている「拡大解釈」「たとえ」としてよく知られているだろう。
だが、実際は「人生」はあくまでも「人生」であり、ギャンブルではない。「結婚」もそうである。
このように「ギャンブル」に例えられるものが本当にギャンブルであるということは少ない。それが拡大解釈でありたとえというものの特徴である。
拡大解釈やたとえを禁じた場合、可能となるのは「競馬はギャンブルだ」「パチンコはギャンブルだ」というような事実を事実のまま指摘する味気ない言葉だけになるだろう。
今回は、「拡大解釈」や「たとえ」として言われるギャンブルと、実際のギャンブルが混同されているケースを峻別していきながら、投資やギャンブルの本質について考えていきたい。
オンラインのギャンブルとして株とオンカジが混同されている誤った状況
「オンラインのギャンブルには株とオンラインカジノが含まれる」というような言葉が言われるとき、ここには「たとえ」「拡大解釈」としてのオンラインギャンブルと、実際のオンラインギャンブルが混同されている様をまざまざと見ることができる。
「株はオンラインギャンブルである」というとき、それはギャンブルではない「運要素が強い営み」に対して、あくまで「たとえ」としてギャンブルといっているに過ぎない。
一方で「オンラインカジノはオンラインギャンブルである」という場合は、これは「競馬はギャンブルだ」というときと同様に、言葉の意味通りに、完全無欠にそれが「ギャンブル」であるということを正確に意味している。
「オンラインのギャンブルには株とオンラインカジノが含まれる」という文章が興味深く、また危険でもあるのは、「ギャンブルではないがギャンブルにたとえることが可能なもの」と「正真正銘のギャンブル」という別物が、まるで同種のもののように並列されているところにある。
だが、人生がギャンブルではなく最終的には人生であるのと同様に、株というものも当然ギャンブルではなく、ましてやオンラインギャンブルであるはずもなく、最終的には「株」でしかないのだ、という正面からの事実を見失ってはいけないだろう。
株は損失を否定しオンラインカジノは損失を受け入れる
株がオンラインギャンブルではなく、オンラインカジノがオンラインギャンブルであるという言葉通りの理解をするためには「損失」という観点から、株とオンラインカジノを眺めるとわかりやすいだろう。
株というものは、基本的には「元本を維持しながらの利益獲得」が目的となっており「損失を出さないように出資をする」ことが前提となっている。
一方で、オンラインカジノというのは「損失が出ること」が前提になっており、「負けることもあるかもしれないが、勝てば利益が出る」という態度によって成立するため、ギャンブルというジャンルに含まれるのである。
ここで、「株とオンラインカジノ」を混同していることに無自覚だと、それによって「株」というものをギャンブル的に扱うことも可能になる。
つまり、「損失」を根本的に許容しないはずの株の取り引きにおいて「損失が出るかもしれないが、利益も出るだろう」という考え方での投資を行うパターンだ。
これは、損失を許容することができない「株は株である」という考え方が抜けていて、「株はギャンブルである」という考えが支配的であるときにのみ可能な思考回路である。
要するに、ここには「たとえ」に飲まれてしまっていて、言葉にひきずられて本来の目的を見失っている状態があるのだ。
「株もまたオンラインギャンブルに含まれる」という言葉は、それが「拡大解釈」であり「たとえ」であることをちゃんと理解して冗談として使っているなら問題ないが、それをもし字義通りに本気で言っているとしたら、かなり危険であり、大きな過ちを犯していることになる。
株はオンラインギャンブルではないという立場からの投資
株という投資商品を扱うにあたっては、やはり「株はオンラインギャンブルではない」という立場を明確にしたうえで、しっかりと株式投資の特徴に則っての関わりが好ましいだろう。
まず、株式投資というのは「将来性が期待できる企業の株式を購入し、資本金を出資する行為」である。
株式投資の特徴としては、「キャピタルゲイン」「インカムゲイン」「株主優待」「企業への関与」という四つの要素を挙げることができる。
そして、これら四つの要素のすべてが「ギャンブル」とは違っていることに注目したい。これこそが、オンライン取引などが可能になった株が、どこまでもオンラインギャンブルではない理由でもある。
まず「キャピタルゲイン」だが、これは「株価の値上がりに乗じて株式を売却することで利益が獲得される」ことを指す言葉だ。
このキャピタルゲインだけが、株においては「ギャンブル的」な思考を可能にしているのだが、「一回の勝負で預けていた資本金がすべて没収される」というギャンブルの本質と、「購入した株式をプールしておいて、株価の動向を見ながら静観と判断ができる(株価が下がったとしても即座に没収されることはない)」という株式投資の本質とは、実際は相いれない。
続いて「インカムゲイン」は、「保有している株の企業に利益が発生した場合に、株の保有者に配当金が分配される」ことで発生する利益であり、このインカムゲインのような利益は、オンラインカジノなどのギャンブルでは発生しないものである。
オンラインカジノにおける「リベートボーナス」などをインカムゲインと比較することもある程度は可能かもしれないが、インカムゲインとリベートボーナスでは「直接の配当金の有無」という最大の違いがあるため、こちらも本来は混同できない。
「株主優待」は、株の保有者が株の企業から商品やサービスを提供される権利だ。これに関しては、オンラインカジノの「VIP会員」と同列のものとして考えてもいい。このようにたまに「重なり合う部分」が生じることも、混同の原因といえるだろう。
最後の「企業への関与」だが、これは「株主総会」などを通して株を保有している企業に直接意見を伝えることができ、企業の方向性に関与できるという特徴だ。これはオンラインカジノでは考えられない特権である。
この領域までくると「株」というものが「オンラインギャンブル」の枠からははみ出ており、まったくの別ジャンルであることがおのずと理解されるはずである。
ギャンブルを楽しみたいなら正確にオンラインギャンブルを選ぼう
オンラインでギャンブルをしたいと考えているのであれば、正確な意味で「オンラインギャンブル」と定義して間違いないギャンブルをしっかりと選ぶのが正解である。
オンラインで購入できる馬券、舟券によるギャンブル、オンラインカジノによるギャンブル、オンラインパチンコによるギャンブルなど、「オンラインで賭けることが可能なギャンブル」だけが、実際にはオンラインギャンブルと呼ぶにふさわしい。
これは裏返すと、これらの「オンラインギャンブルでしかないオンラインギャンブルは投資ではない」ということを意味してもいる。
株のような投資をオンラインギャンブルとして遊ぶことが危険であるのと同様に、オンラインギャンブルを投資として考えることも、また同程度に危険であり、過ちである。
「投資」という言葉もまた、「ギャンブル」という言葉と同様に「拡大解釈」や「たとえ」として使われやすく、自己啓発本を読む行為に対して「自分への投資」というような慣用句が使われることがあるが、この行為は実際は「投資」ではなく、「読書」だ。
それと同様に、各種オンラインギャンブルで金を使うことは「投資」という行為とはまったく関係なく、そういった行為に仮に「投資」という言葉が使われる場合、それはあくまでも「たとえ」でしかないということは理解するべきだ。
オンラインギャンブルの本質はそれをしっかりとギャンブルとして理解して遊んだときにのみ開かれるもので、それは、株式投資をしっかりと投資として理解したときに投資の本質が出てくるのと同じことだ。
オンラインギャンブルで遊ぶことが投資ではないことと同様に、株式投資にオンラインで投資することはオンラインギャンブルではない。
身も蓋もないかもしれないが「株もオンラインカジノもオンラインギャンブルに含まれる」という乱暴な言葉を通して実際に出てくる結論は、こうした透徹した事実でしかないのである。
株式投資とオンラインギャンブルのまとめ
- 株とギャンブルの混同は言葉による乱暴なくくりでしかない
- 株には株の原則がありギャンブルにはギャンブルの原則がある
- ギャンブル的投資も投資的ギャンブルもともに危険である
「株はオンラインギャンブルに含まれるか?」という地点からの、株式投資とオンラインギャンブルの峻別のまとめは以上となる。
拡大解釈やたとえは、物事を一見わかりやすくするが、その「わかりやすさ」によって、物事の本来の姿を見失うことも多い。
とりわけ、株やオンラインカジノのようなまったくの別物を「たとえ」が言葉によって豪快に結びつけるときに、その混同による本質の喪失は、ことさら顕著になるといっていいだろう。
「株もオンラインカジノもオンラインギャンブルに含まれる」と考えること自体は自由だが、こういった雑な言葉は、株とギャンブルのそれぞれの定義からすると自由では済まされない。
ジャンルによって規定される「不自由さ」をしっかりと理解したうえで、それぞれの「不自由さ」のなかで越境せずに楽しむのが、オンラインでの投資、オンラインでのギャンブルのそれぞれのコツなのである。