投機・投資・ギャンブルの共通点と決定的な違いを理解しよう
「投機、投資、ギャンブルは似たようなものだ」という意見があるが、確かに「金の増減が未来に託されている」という点で本質的には同じであることについては、俺も同意できる。
だが、程度の差はある。おおざっぱに見れば「本質的に同じ」と言えるのが投機と投資とギャンブルだが、同時にこの「程度の差」は馬鹿にできるような違いではなく、この違いによって「決定的に違う」とも言えてしまうというのが、先ほどの意見に同意しつつの俺の意見となる。
この「本質」と「程度の差」をそれぞれに理解することによって、投機、投資、ギャンブルへの解像度も上がっていく。
解像度があがることによって、「投機的な投資」であるとか「ギャンブル的な投機」だとか「純粋にギャンブル」というような組み合わせや単純化で、自分の金の使い方が考えられるようにもなる。
「本質」は具体的な状況を見失わせる危ない抽象化でもある。投機、投資、ギャンブルはそれぞれの具体的な場面において要求される行動や思考などに違いがあり、この「違い」を見ずに「本質」だけで物事を考えると、それぞれの出資において損失を被ることにもなるだろう。
よって、より重要なのは「本質」の理解ではなく、「程度の差」の把握だ。
そこで今回は、「本質的に同じ」な投機と投資とギャンブルの「程度の差」を見ていき、解像度をあげ、具体的な場面に対応するための基本を準備する作業をしていくことにしよう。
可能性に賭けるという共通点と危険度の違いについて
「可能性に賭ける」という本質的な共通点を持っているこれらの行為は「危険度」において最も大きな違いが発生する。その順番は、ギャンブル、投機、投資ということになるだろう。
投機とギャンブルの間で親和性と類似点が高く、投資とギャンブルの間に違いが見出しやすいことは、この「危険度」がどの程度へだたっているかという距離によって起こることだ。
では、この「危険度」という要素の、どこに危険があるかというと、「資金の減り方」「短期性・長期性」という金と時間の関係にこそある。
ギャンブルがもっとも短期的な軍資金消費であり、間に投機が挟まり、もっとも長期的な利益獲得を狙うのが投資である、というと、先ほどの「危険度」の順番もより理解しやすくなるだろう。
投機とギャンブルが接近するのは「短期的に利益獲得を目指す」という特徴においてであり、もっとも隔たった投資とギャンブルを接近させるためには「長期的な利益獲得という方法はギャンブルで可能か?」という点を探りながら賭け方を模索する必要がある。
投機と投資とギャンブルという三つの行為を「危険度」という程度の差でふるいにかけて考えることは、自分自身の金の使い方の「スタイル」を考えることに繋がる。
そして、それぞれが「本質的に同じ」である以上、金の使い方の「スタイル」次第で、自分の行為が投機にも投資にもギャンブルにもなりうる、ということでもある。
投機の特徴は短期的に利益獲得を狙うという点にある
投機の特徴は「短期的である」という点に凝縮されていて、「利益獲得」も「損失」も、投資に比べてあっという間であるという「程度の違い」がある。
投機の「短期性」は「リスクを恐れない」ことによって発生する。リスクが高い商品の「可能性」に賭けてふり幅の広い変動によって利益を狙うという点で、「長期性」が基軸にある投資に比較して投機がギャンブルと近づくのは当然であるだろう。
実際、投機とギャンブルの違いは「胴元がいない(市場の相場が相手である)」と「金を賭ける商品の違い」にしかないともいえる。
これは同時に、「市場が相手である(胴元が相手ではない)」「金を賭ける商品」において投機と投資のあいだに共通点と親和性が発生する(同じジャンルである)ことも意味している。
「投資とギャンブルは違う」というタイプの人間は、このあたりの「共通点と相違点」をしっかり把握していて投資側に立ってモノを考えている人間であり、「投機とギャンブルは似ている」という人間は投機的視点でモノを考えている人間であり、それぞれの「ギャンブルのスタイル」はこの考え方によって左右されると言えるだろう。
「本質的な共通点」として、それぞれが「運」に左右されることは確かであるとしても、「運要素」が投機はより強い。この点においても、投機とギャンブルとの親和性が高い理由となるだろう。
ギャンブルでハイローラー的な賭け方をするタイプは、投資という市場相場を相手にした場合でも投機的な行為をする。投機で扱われる商品も株式や不動産や積み立てNISAなどではなく、FXやバイナリーオプションや先物取引などの「短期性」が強い「ハイリスクハイリターン」の商品になるだろう。
「危険度」というレイヤーでギャンブルの次に投機が位置づけられるのも、最大の特徴である短期性によって「勝負」というイベントがその都度発生するためである。ちなみに「勝負」というイベントは投資においてはあまり歓迎されない。
「勝負」というイベントの性質上、出資の「結果」がすぐに反映されるため、価格変動などの細かいチェックに時間をとられて精神が消耗しやすいという点も特徴としては指摘しておく必要があるだろう。
ジャンルは違うものの、投機は「行動」だけを見るならばギャンブルに似ている。
投資の特徴は長期的に資産運用をしていく点にある
投資の最大の特徴は「長期的」であることで、「資産運用」という考え方が発生する点においても、投機やギャンブルとは「程度の差」とも言えないくらいの決定的な違いがあるといえるだろう。
投資はいかにリスクを回避するかという「安定性」に地盤を置いており、「勝負」というヒリヒリするイベントがなるべく発生しないように地味に堅実に資本金を扱っていくことで可能になる出資法である。
投資は、「結果」が反映されるまでに時間がかかるため、「このくらい出資すればこの程度のリターンが見込まれるだろう」という予測もつけにくい。つまり「ギャンブルしにくい(オッズが見えにくい)」ということだ。
出資対象の商品のリターンが見えやすい場合は、それはリターンをすぐに回収することを目的とした「投機」という行為に回収される出資となる。
また、投資が「長期的」な出資法であることによって、「余剰資金で出資する」という特徴も付随してくることは指摘しておく必要があるだろう。
投資における出資はどちらかというと「利用する予定がない資産を効率よく預けて様子を見る」という要素が強く、「軍資金を賭けてその場で回収していく」という刹那的な感覚とはそもそもかけ離れている。
おそらく、「投資的なギャンブル」という組み合わせの可能性としては、「余剰資産だけで遊ぶ」というやり方に限定されるのではないかと俺は考える。そのくらい「投資」と「ギャンブル」の隔たりは遠い。
投資には「複利」という「利益をもとにした再投資」の要素も特徴として挙げられるが、「複利」をギャンブルでやる場合には「倍プッシュ」と呼ばれるような危険行為に変換されることになるだろう。
「複利」は一般的には長期的であればあるほど有利であり効率性もあるため、「倍プッシュ」的な短期的な複利は「利益をもとにした再投資」ではあるものの、厳密には複利とは言えないかもしれない。
投資は「ローリスク」の商品に出資し、元本割れを回避しながら長期的な「ローリターン」を狙うという点で地味かつ堅実であり、どうしても付随する本質的共通点としての「運要素」をなるべく希釈し排除する方向での思考法と行動が求められる。
また、株式投資の場合では、「株主」という特権的な立場を獲得することや、安定収入の確保も可能であり、これは投資特有の利点であるということができるだろう。
株式投資の場合に限るが、「支持したいと考える企業を支持し、株主総会で意見も言えて企業の方向性に関与できる」「企業の成長によって利益が出る」という点で、現代の「推し文化」にも似ている部分があるともいえるかもしれない。これは、投機やギャンブルでは起こらないイベントである。
ギャンブルの特徴は胴元が存在するという点にある
ギャンブルの最大の特徴は「胴元」が存在するという点にあり、この特徴においてギャンブルは投資や投機といった出資とは「完全な別物」として理解される必要があるといえる。
「行為」に類似点があり「本質」にも共通点があるが、立っている足元である「場」が決定的に違うというギャンブルの特徴は、看過できない「違い」であるといえるだろう。
ギャンブルは「賭け金」の総額の奪い合いであるのだが、その奪い合いの「場」を提供し、管理し、搾取することで「確実に利益を獲得すること」が可能な特権的な地位が発生する。それが特権的地位こそが「胴元」である。
胴元は自分が提供した「場」に出資された賭け金のなかから、手数料(テラ銭、ハウスエッジ)を取ることで「安定した収支」を確保したうえで、出資者同士を競い合わせる。
ギャンブルに対する出資は、いうなれば「胴元に対する投資」というよりも「胴元に対する献金」である。
その胴元への献金の見返りとしてギャンブラーはギャンブルという刺激的な娯楽が提供され、胴元側は一握りのギャンブラーには利益を与え、多数のギャンブラーを損失させることで、自分自身の利益を確保する。
ギャンブルは、「投資・投機」の出資法だけを採用し、胴元だけがつねに長期的に安定した収支を得られるように構築された巧妙なシステムとして理解することが可能だ。
要するに、ギャンブルは、その出資者に「投資をしている感覚」という錯覚を与えるために偽装された巨大なシステムであるということができる。
この偽装された巧妙なシステムを構築するにあたって、「本質的には同じ」と言うことが可能な共通点を最大限に活用しているのが、ギャンブルの特徴だ。
ギャンブルで遊ぶコツは、その出資が「投資」ではなく「献金」であるという「場」のルールをしっかり理解しておくことである。
ギャンブルにおけるスタイルの選択があくまで「投機的・投資的」という風に「○○的」であるのは、ギャンブルの足場とルールが決定的な部分で投資や投機と違うからであり、「献金の見返りの遊び」として峻別する必要があるためである。
俺が冒頭で「本質は具体的な状況を見失わせる危ない抽象化」であると書いたのはこのような意味であり、「程度の差」では片づけられない決定的な違いを見極めることで「投機的ギャンブル」や「投資的ギャンブル」という「大人の遊びかた(スタイルの選択)」が可能になるのだ。
つまり、ギャンブルに対しては「マジ」になってはいけないし、「投資」と混同してはいけないということである。
投機・投資・ギャンブルの特徴と相違点のまとめ
- 投機は短期的な利益回収を目指す刹那的な出資である
- 投資は長期的な利益回収を目指した堅実な資産運用である
- ギャンブルは胴元への献金によって場が与えられる娯楽である
投機、投資、ギャンブルの特徴を見たうえでの「本質的共通点と程度の違い」についてのまとめは、以上になる。
本質的共通点はあるものの、投機、投資、ギャンブルは決定的に「似て非なるもの」である。
「投機的、投資的、ギャンブル的」というそれぞれの「○○的」を別の言葉につなげることができるのは「本質」の共通点があるためだが、「程度の差」による決定的な違いを理解してないと、それぞれの特徴から導き出される具体的な状況に足元をすくわれてしまうだろう。
投機、投資、ギャンブルにはそのジャンルごとのルールと特徴がありそのオーセンティックな部分を理解することが、出資のスタイルを軽やかに使い分けるための必須条件だ。
「程度の違い」に即したそれぞれのジャンルに適切な「出資」を心がけて、不要な損失をなるべく被らないように気をつけよう。